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北里柴三郎(中公文庫)下巻 [読書]

絶版なので入手に苦労した。
いくつか本屋巡りをしてからあきらめて、娘にネットで中古本をゲットしてもらう。(便利になったもんです。本代よりも郵送料の方が高いのはご愛敬)

伝染病研究所の文部省への移管を巡って所長を辞任し、北里研究所を設立するのが下巻のポイント。
北里先生は雷(ドンネル)を落としまくりますが、新橋の芸者に入れ込むなど人間臭いところも見せます。

上巻に引き続き、様々な人物が登場。
森村市左衛門(森村学園創始者)
志賀潔
野口英世
北原白秋
島崎藤村

結局のところ、最大の支援者は福澤諭吉先生で、恩に報いるために慶応義塾大学医学部の開設に奔走し、初代学部長に就任します。
福澤先生宅および慶應義塾が三田にあったことが伝染病研究所(現・東大医科研)や北里研究所(北里大学)がその近くに設立された所以にもなっており、日本赤十字社(もとは血清薬院)、慈恵医大、などなどが港区南部に集積しているのもこのためでしょう。
想像ですが、共立薬科大学が芝公園に開設され、後に慶応義塾大学薬学部になったのもこのご縁だと思います。

思った以上に面白い伝記でした。

著者山崎光夫氏が単行本化に際してあとがきでお礼を述べている人の中に北里研究所の大村智所長がいて、大村さんは文庫版の巻末に解説を書いています(2007年)が、その8年後にノーベル賞生理学医学賞を受賞しています。

DSC05685.JPG

なお、これは愚息が大村先生からいただいたノーベル賞メダルのレプリカチョコです。

IMG_6729.JPG

直径5cmくらい。
この愚息は先のドイツ人教授ご案内に際して同行していたのに、北里先生への勉強が足りない!

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稲村ケ崎・コッホ博士記念碑とメイン [鎌倉]

北里柴三郎伝記が下巻に入り、文部省・東大との軋轢が佳境に入っていますが、作中で柴三郎がコッホ博士を日本に招く場面があります。

明治年間ですからドイツから1ヶ月の船旅でやってきて、3ヶ月の滞在。
東京から京都、奈良、広島など延々と観光していきますが、一時体調がすぐれなかったコッホ博士を柴三郎は静養のために鎌倉へ連れ出します。
鎌倉滞在は3週間に及び、徐々に体調が回復したコッホ博士を近場の観光へ誘いました。
その場所は海浜ホテルからすぐ近くの稲村ケ崎・霊仙山展望台。
ここから大島、伊豆半島、江の島、富士山を見渡したコッホ博士は感激し、滞在中に何度も訪れたらしい。
後年、ドイツのコッホ博士を訪れた柴三郎に対して稲村ケ崎の光景を懐かしがっていたそうです。

これを記念した石碑が稲村ケ崎公園にあるそうだ。

知らなかったな、というよりも、不覚であった。
昨年招いたドイツ人教授を稲村ケ崎公園までお連れしたのに、この碑をご案内できなかったとは残念至極。
http://papamama2012.blog.so-net.ne.jp/2016-03-26

ということで、改めて稲村ケ崎公園に行ってみた。

IMG_6715.JPG

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